はじめてブーン系小説を読む方は
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縄のれんが揺れていた。
端の小さな結び目は、一月と半分ほど前に作ったツケの印だ。
手で避けて、乱雑に引き戸を開けた。
途端鼻をつく酒の匂いは、単にここが居酒屋であることを踏まえても些かきつい。
案の定一歩踏み出したところでぱしゃんと大きく水音がして、思わず眉が跳ね上がった。
―――…酒溜まりたァ随分勿体ねェ真似しやがる。
草鞋越しに命の水が染みてくる。
顔をしかめたのは、しかし、それだけが理由ではない。
外に比べて暗い店内に開け放した戸からの光がなじみ、その惨状が明瞭になったためだった。
壁の一部には岩でもぶつけられたような窪み。
木製の卓には泥が付いており、木切れや陶器の破片も多く散らばっている。
調理場との仕切りだろう綿ののれんには、血痕らしい染みがあった。
荒れに荒れた店の奥まで入り込んで、ぽつんと残った空の酒樽に腰を下ろした。
肩に担った荷物を手放し、吐息と共に目を伏せる。
遠くで虫が唄っていた。
風が一時その唄を吹き払い、やがて無音の刹那が落ちた。
『あぁ、いつぞやのお兄さんもなね』
『いらっしゃいませもな』
気勢という気勢を削ぐ穏やかな声が、その隙を縫って脳裏に響いた。
幻聴だ。わかっていた。
( e )「……ハッ…」
乾いた笑いに混じって、ちゃりりと手の平の銭が滑り小さな酒溜まりに沈んだ。
柔和な笑顔しか思い出せない居酒屋の主は、昨日の朝には近くの川に浮かんでいたのだという。
両手両足を縛られ猿轡まで噛まされた状態で発見されたそうで、
近頃市中を騒がせているタカラ一派という賊のよくやる手口らしいとも教えられた。
『そちら様も、どうかお気をつけになって下さい』
気遣わしげに言ってくる団子屋の看板娘が側では、用心棒らしき屈強な男が険しい目線を寄越していた。
無理もない。笠から合羽、股引まで汚れの目立つの旅姿に傷跡の目立つ体、
あまりよろしくない顔付きと疑う要素は逐一揃っている自覚はある。
だから、諸事情で酷く軽くなった財布からお代を払って早々にその場を離れた。
その店主と大した縁があったわけではない。
諸国流浪の旅すがら、子供のスリにやられて路頭に迷っていたところを助けてもらっただけのこと。
町外れという立地の悪さからか閑古鳥鳴くその店で、一宿一飯の恩を受けただけのこと。
日雇いの仕事をこなし、礼をしようと向かった時には賊にやられた後だったというそれだけの話。
やるせなさや怒りはあったが、賊を探し出してどうこうするほどの金も情報網も義理もない。
ただ、それだけ物騒ならあの男のような用心棒のクチはあるかとひとまずその町の安宿に身を寄せた。
宿屋の主人は初見こそ警戒を強く見せたが、害を加える気はないと知るや向こうから用心棒にと頼んできた。
既に一人腕の立ちそうな男が雇われており、適当に交代しあって昼夜通しの番をしてほしいとのこと。
何はともあれ、遣い込まれてしまった分は稼がねばならない。
二つ返事で了承した。
その日の夜は満月だった。
こんな明るい晩に悪さをする馬鹿はそうそういない。
闇という大きな味方なしにそんな真似をする奴は、余程の間抜けか自信家だ。
そう思いながらも見廻りと称して町に出たのは、寝付きがどうにも悪かったからだ。
酒でもかっくらえば、と身を起こしたところでじりじり腹から苛立ちが湧いて、気付けば寝床を抜け出していた。
『熱心なこった』
夜番を引き受けた男にはそう呆れられた。
そんなんじゃねェよ、と軽く返しておいた。
勝手を通しただけだが、思えばそれは、予感だったのかもしれない。
二日前も十二分に明るかった。にも関わらず、場末の居酒屋は襲われた。
宵闇は悪事を助けるが、空を照らす銀盤は何の抑止にもなりはしないらしい。
そして、やはり。
月下に光る夜の道、そのど真ん中に見廻りの者の死体が二つ転がっていた。
短く黙祷を捧げてから前方を見やれば、昼に立ち寄った団子屋から何やら物音がする。
近寄るのに、迷いはなかった。
(;,,メД゚)「ぐ…っ、ちく、しょお…!!」
( ^Д^)「ケッ、弱ぇ弱ぇ! こんなのが用心棒たァ舐められたモンだなぁ、オイ」
「まったくでさぁ、タカラの兄ぃ」
(*; ;)「ふぅう~…!!」
ああ、何とわかりやすい図だろうか。
縛り上げられタコ殴りにされる用心棒、轡を噛まされ今にも賊に襲われんとする娘。
後方には父母らしき人影がうつ伏せに倒れている。気を失っているだけと思いたい。
閉まりきらぬ戸の間から覗く光景に吐き気を感じる最中、温和そうな恩人の顔が頭を掠めていった。
―――…アンタぁ仇討ちなんざ喜ばねェだろうが……。
( e )「こいつを見逃すのァ、ナシだわな」
菅笠に手をかけつつ、ぐんと一気に踏み込んで。
勢いよくその戸を、蹴り倒した。
「ぐぎゃっ!?」
戸に打ち当たったのか踏み付けたか、賊の一人が潰れた蛙じみた声を上げた。
( e )「邪魔、するぜぇ」
己の風貌のいかつさは、己でよくよく知っている。
威圧されたらしい下っ端を拳で飛ばし、重く一つ歩を進める。
(#^Д^)「な、何だてめェ?!」
お決まりの台詞に緩く笑って。
( e )「どっかのアホのおかげで飲み損ねちまってよ」
菅笠を、捨てた。
(’e’)「眠れねェんだ。相手してくれや」
周囲の空気が殺気に変わった。
袷を肌蹴られた少女に合羽を投げた直後、その場にいた賊が一斉に襲いかかってきた。
(;,,メД゚)「こいつぁ、またとんでもねェ…」
(;*゚ー゚)「すごい…」
床に転がる用心棒も、合羽を引き合わせたまま呆気にとられる少女も、既にどうでもよかった。
彼らの重要性は、最早ここに立ち入るきっかけとなった、その一点で尽きていた。
(# Д )「こ、…なく、…そ…!!」
後の乱闘は正義の鉄槌などではない。ただの八つ当たりだ。
気に入りの場所を奪われた腹立ちを、酔って散らせなかった憂さを、暴れて晴らしているだけだ。
(#^Д^)「ざけんなぁああああ!!!」
流石に、賊の頭を張るだけはある。
一、二撃で昏倒した下っ端とは違い、短刀を弾かれ投げ飛ばされてもなお堪えず向かってくる。
だが、遅い。
(’e’)「なァ、あんた、料理できるかい?」
掴みかかるその腕を逆に捕え、捻り上げながらに、問う。
(’e’)「味噌煮の旨いの、食わせてくれよ。酒の進むような、さァ」
(# д )「何、言ってやがる…?!」
もう一息で折れる程度まで関節に負担をかけてやれば、掠れた声が毒付いた。
(’e’)「無理か。そうだよな。そんならしょうがねェ」
ふっと力を抜き切り、すかさず攻撃を狙うその腹に膝をぶちこんだ。
( Д )「あ゛…、が……ッ…」
くたりと弛緩しきった体を無造作に離す。
もう聞いちゃいないだろうに、死罪は免れないだろう頭上に向けて言葉が零れた。
( e )「修行して来やがれ。テメェらの殺した酒屋の親父に頭下げて、な」
―――…あァ、ったく。結局仇討ちと同じになっちまった。
(’e’)「……まァ、賊の捕獲は用心棒の仕事の内、だよな」
賊を縛り上げてお上に突き出し、早々に帰路についた。
謝礼も得たので日が出次第、出立する腹積もりだ。
宿の主人からの報酬は受けずに去る気だった。あの宿のために、自分は何もしていない。
(’e’)「なァ…―――」
無意味な同意を求める先は、夜空の行灯。
一片の影もなく輝くそれに、疑いも警戒も知らない風であった翁を思う。
もう一日早くあの店に着けていたなら彼はまだ、と、きつく唇を食んだ。
空には、今宵を境に欠けていく月。
けれどそれは、いずれはまた同じように満ちていく。
ぽっかりと空いたこの心も、あの月が再び満ちる頃には何かで埋まっているのだろうか。
( e )「そうそうあるもんじゃあ、ねェと思うがな」
道を誤ったらしく、寺の前に出てしまった。
せっかくだ、手の一つも合わせていくかと無縁仏の墓を探す。
( e )「あーあ、食いたかったなァ」
ざり、ざり、と、歩く度に玉砂利が音を立てる。
( e )「ツラ、拝みたかったなァ」
羽織った合羽が風に煽られてばさばさとはためく。
夜明けを待つばかりの墓地は、ひどく静かだった。
やがて、小さくそして簡素なそれを見つけ、片膝をついた。
(’e’)「先日ぁ世話ンなったな、大将」
日中に誰かが参ったのだろう、綺麗な花がたむけられていた。
渡しそびれてしまった銭を、無意味と知りつつ供え置く。
( e )「……」
贅沢と、承知だ。
無理とも、承知だ。
それでも。
遠き日に別れた両親を想わせる、あたたかな眼差しと優しい料理をもう一度、と。
(’e’)「また、な」
叶わぬ願いを振り切るように、踵を返した。
(’e’)「さぁて、っと…」
柳行李を掛け直し、菅笠を持ち上げ、一思案する。
―――…次は東にすっか。
誰に言うともなく唇だけで呟いた。
日の出づる方へ、沈み行く月に背を向けて、一人の男が朝焼けの野に消えていった。
了
この小説は2008年10月8日ニュース速報(VIP)板に投稿されたものです
作者はID:PMmNLvENO 氏
作者がお題を募集して、それを元に小説を書くという形式のものです
お題(’e’)
満月
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