スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

(*゚ー゚)しぃの時計の針は戻らないようです 後編



('、`*川「期待してる」

(;゚ー゚)「わざとプレッシャーかけてるでしょ、有里?」

('、`*川「私としては普通の応援だけど? あー金メダルが見たいなー」

(*゚ー゚)「もー……」

 昨年開港した新中部国際空港は、多くの飲食店は勿論、デパートのように多種多彩な店、更に温泉まであり、さながらレジャーランドのようだった。
 当然、人は多く、自分も埋もれてしまっている。
 有里の家は、ここから電車で20分ほどのところにあり、カナダへ飛び立つ朝、わざわざ見送りに来てくれた。

('、`*川「あえて、言うね」

 有里は最近、ずっと笑顔だった。
 しかし今、他の誰にも分からないように、笑顔を若干翳らせた。
 有里とはもう、二年の付き合いになる。

('、`*川「アンタが跳ぶ姿、私も凄く綺麗だと思う。一番綺麗なの、見せて」

 あえて。
 全てをこめた、あえての一言だった。

(*゚ー゚)「うん」

 日本中の期待を、背に負っている。それをいつも考えて、演技しなければならない。
 荷を軽くすると必ず演技も疎かになる。これまで、ずっと不甲斐ない演技が続いていて、皆の心配もある。
 だからこそ、荷を積む。もう、抱えきれないほど。
 期待だけを背負えば、他の何も、背負う必要はなくなるだろう。


 ギコ君と最後に連絡を取った夜から、ちょうど一ヶ月。
 一度の連絡もすることなく、ここまで来てしまった。
 世界選手権前々日。本当なら、ギコ君はここに居てくれるはずだったのに。

 世界選手権は、さすがに見に行けないと、別れる以前に聞いていた。
 当日は、国家試験があるのだという。半年前から勉強していた試験で、やはりどうしても休めない、と残念そうにしていた。
 それがなかったら? と訊けば、行くに決まってると即答した。
 堪らなく嬉しかったのを、今もはっきり思い出せる。
 国家試験は三時間の試験が午前と午後の二回あり、午後が終わるのは16時。
 それから空港に行けば、19時。到底その日の最終便には間に合わない。

 欲を言うなら、見に来て欲しかった。
 ギコ君が、居てくれたら。それだけで自分の気持ちは昂ぶるだろう。
 今でも最大級の好意を持っているのは否定できない。したくもない。しかし、仕方のないことだった。

 歩いてきた道を、足跡を、時々振り返る。
 しかし、その回数も徐々に減ってきた。時計の針は進んでいる。それを確信するときだった。


 機内では、緊張からなのか、上手く眠れなかった。
 寝たり起きたりの繰り返しで、苦しい。しかし、どこか懐かしい。
 そして、寂しい。
 今なら何を呟いても、全て空が、雲が、吸い込んでくれるだろうか。

 カナダについても、やはり気だるさは残ったままだ。
 ホテルに行ってすぐにベッドに入っても、やはり眠れない。自然と、視線は携帯へと移り行く。
 近頃は随分大人しくなって、充電する回数も減った。

 ショートプログラムは明日。そしてメインのフリープログラムは、明後日。
 まずはショートで高位置につけて、フリーで一気に決める。
 フリーに絶対の自信を持っているわけではないのだが、金を取るにはやはりフリーでの高得点しかない。

 しかし、改めて出場選手を見ても、世界的に評価の高い選手が多かった。
 解説者のほとんどは、日本勢がメダルを獲るのは難しい、と言っている。
 それだけ海外は安定して高得点を獲得する。今の日本選手は国際大会ではメダルすら難しく、それこそ金など夢のまた夢だ。

 しかし、メディアは騒ぎ立てる。今年は取れる、特に椎名は可能性がある、と。
 期待は嬉しいが、それが行き過ぎることに近頃は悩まされていた。
 自分のプライベートは、関係ないのに。ギコ君との破局の一端を担ったことは間違いないだろう。

 こうやって、時々何かにつけて、ギコ君のことを思い出す。
 そのときの自分は、何故か心は落ち着いている。明日のことを思えば、それは悪いことでもなかった。
 ただ、こうやってギコ君に依存し続けるのはいずれ痛みを伴う。いつまででも寄りかかっていては、歩きづらい。
 それは、共に、だった。

 しかし今は、もう、これから一人でも歩いてゆける自信はある。


 翌朝。
 蒼穹が清々しい、見事な冬晴れ。
 吐息が白くなることすら、快かった。

 万全ではないが、脚も軽い。不安はない。大丈夫だ。
 いつも通りの自分を保てば、メダルを狙える位置に立てる。

 会場に向かうと、多くのファンに迎えられた。
 日本からこんなに遠く離れた異国に、これほど多くのファンが応援に来てくれている。
 率直に嬉しく、そして索漠も感じる。
 思わず、探してしまっているのだ。懐かしい、恋しい姿を。
 そして当然、いるはずもない。

 ウォームアップを控え室で始めた。
 カメラが多く回っていて、どことなく落ち着かない。マスコミが、過去例を見なかったほど多いからだ。
 ショートプログラムはテレビで中継しないはずだが、それでもこの量。
 明日のことを、考えたくなくなった。

 しかし、マスコミの多さは即ち期待。
 それをひしひしと感じさせてくれるのはありがたいことだった。
 今の自分には、何か背負うものがないと、軽すぎて地に足がつかない。

 何しろ、フリーでは四回転を跳ぶのだ。
 日本中がそれに期待を寄せている。最近はずっと成功していないが、期待を背に負った今なら。
 上手く、いく気がする。

 もう、全てを自分でこなさなければ。
 ギコ君は、いないのだから。
 寄りかかれる人は、自ら置き去りにしてしまったのだから。

 順番が、近づいてきた。
 リンクに出て練習する。あと、三拍。呼吸を、整えた。

 平常心で滑り出したが、体勢が安定しない。
 しばらく、経っても。
 脚が、固い。

 観客で埋め尽くされたスタンド、煌びやかな応援プレート。
 ざわめきと視線。リンクで練習する、世界的スケーターたち。
 何もかもが、絡みつく糸のようだった。

 緊張が喉に詰まって、息苦しい。
 堪らず、廊下の誰も居ない場所に出た。

 これが、世界選手権。初めて出場し、期待も薄かった去年とは、雰囲気が異様だった。
 リンクに出るとそれを判然と感じさせられる。
 今さっきまでの、無駄なほどの自信が、霞み行くのを感じる。

 それでも、踏ん張らなければ。
 このショートプログラムが明日の成否を左右すると言っても過言ではない。
 ここでの高得点は、不可欠なのだ。

(*゚ー゚)(……よし!)

 暫く胸に手を置いて息をしていたら、それなりに落ち着けてきた。
 大丈夫だ。頭の中もすっきりしている。
 滑れる。跳べる。


('A`)「井戸川 義古」


 白き、道。
 穢れ無きはずの、道が。
 今、はっきりと何かの陰影を映し出している。
 これだけ鮮明なのに、何故、分からないのか。

('A`)「俺が名前と情報を雑誌やネットに流したら、なぁ? 大変だよなぁ?
   誰にも知られてねぇとでも思ってたか?」

 濁った声。
 静穏に満たされていた心を、ぐちゃぐちゃにかき乱すような。

('A`)「別れた相手に、更に迷惑は、かけたくないよな?
   あれだけ長いこと付き合ってた相手だから、なぁ」

 触れられるほど、触れざるを得ないほど、大きな翼が、確かにあったのに。
 それすら、霞む。
 広げることすら叶わず、まして、飛ぶなんて。

('A`)「ま、じっくり考えろや。どうすれば、元彼のためになんのかを、よ」

 すれ違い様の、ほんの一瞬だった。
 けれど、決して消えることはない一瞬。
 翼を、剥ぎ取る一言。


1_20091228201326.jpg



 雑念どころでは、なかった。


(実;・Д・)『あっと! また着氷失敗! なんでもないトリプルサルコーでしたが』

 キレの欠片もない。それどころか、技の成功さえ。
 翼がないのに、まだあるかのように飛ぼうとすれば、無様に地面に落下するのは、分かっているのに。

 これほど長いショートプログラムは、初めてだった。

(実;・Д・)『昨年、世界選手権で4位に輝き、今年はメダルを期待された椎名ですが……』
(解;´∀`)『早くも、厳しくなってしまいましたね……』

 8位。
 トップは、何点だろう。自分の点数との差を、計算する気にもならない。

ξ;゚⊿゚)ξ「一体何があったの?」

 相当不機嫌だろう、とぼんやり予想していたが、津川コーチの声にそう変化はなかった。
 ただ本当に、わけが分からないのだろう。自分も理由が分からなければ、いっそ楽だっただろうか。

ξ;゚⊿゚)ξ「四回転なんて、とても飛べる状態じゃないわね」

 ただのトリプルすら着氷に失敗したのだ。クワドラプルサルコーが、跳べるはずもなかった。
 しかし、今はそんなことを真剣には考えていなかった。

 ギコ君の、声が聞きたい。
 けれど今は、色んな思いをぶつけかねない。もう、迷惑はかけないと決めたのに。
 全て自分の力で、歩むはずだったのに。

 ずっと、付け回されていた。最近は少し、忘れていた。
 存在を覚えていれば、これほど点数は落ち込まなかっただろうか。
 仮定の話をしても仕方が無いのに、逃げ道が見つからない。それこそ、逃げる意味などもないのに。

 今のネットは、無限の情報が行き交う。嘘も多いが、真実も確かにある。
 恐らく、ギコ君のことは真実として受け止められて、瞬く間に広まってしまうだろう。
 週刊誌なども、すぐに情報を拾って掲載する。
 雑誌なら実名は出せないかも知れないが、ネット上ならいくらでも可能だった。

 一番怖いのは、それでギコ君の生活が崩れることだ。
 彼氏でいる間なら、まだ、許してくれたかも知れない。しかし今はもう、連絡も取り合っていないような間柄なのだ。
 その状況では、自分も耐えられない。

 問題は、世界選手権が終わった後だろう。
 何を、すればいいのか。

 体を捧げる。まず最初に考えたのは、それだった。
 人生でたった一度の、初めて。それを好きでもない人に、など、考えたくもない。
 しかし、それでギコ君に被害が及ばないのなら、厭わないとすら思えた。
 あれだけの恩幸を受けておいて、尚甚大な迷惑は、有り得なかった。恐らく一生後悔するだろう。
 それなら、自分の初体験くらい。

 しかし、体の震えは静止を知らない。

 ホテルに戻っても、当然のように眠れなかった。この数日で、合計何時間だろうか。
 日本との時差は、13時間。今なら、ギコ君も当然起きているだろう。

(*゚ -゚)(……バカだなぁ……)

 今、ギコ君に連絡して、それでどうするつもりなのか。
 さっきも思ったことをもう一度考えてしまうということは、やはり相当の動揺があるのだろう。
 自分の力で、どうにかする。有言実行は、守るべき言葉だと思った。

 ある程度の、諦めが必要なのだろう。
 しかし、自分を納得させる言葉としては、どこか力不足だった。

 空が白んできてからようやく少し眠れて、起きたら陽も随分高く遠ざかっていた。
 少し、寝汗をかいている。暑い夜では決してなかった。
 昼食を食べた後、陽は灰を被った雲の向こう側に隠れ去っていた。
 天気予報によれば、雨も降るかも知れない、とのことだった。

 ギコ君の国家試験は、確か昨日だった。国家試験が終わってからでは、最終便には間に合わない。次の朝の便なら、もう試合は終わっている。
 分かっているのに、期待が時々顔を覗かす。
 もう過ぎたことなのに。もう、何もかもが。

 重い足取りで、会場へ向かった。
 あと4時間。何も考えたくなかった。
 しかし襲い来る雑念を跳ね除けられない。これはもう、雑念と呼べるほど可愛いものではなくなっているかもしれない。
 昨日の倍近くいるのではないか、と思える報道陣に囲まれた。
 質問が耳に入らない。返答は、素っ気無く聞こえてしまっただろうか。
 ギコ君が見るかも知れない映像だから、愛想良くしたいと心の中では思っても、とても実行に移す気になれない。

ξ ゚⊿゚)ξ「椎名さん、大丈夫ね? 滑れるわね?」

 津川コーチの気持ちは、忖度(そんたく)しかねていた。やはり、諦めなのだろうか。
 期待を感じられる表情でないことだけは確かだった。

 演技順が発表された。自分は、ラストから二番目。そしてラストは、優勝最有力候補のケイライン。
 随分やりにくい順番にされたようだった。

 少しリンクに入ると、それだけで不安が募った。
 リンクを傷つける音が耳を刺激する。氷にはっきりと残る傷跡が網膜に焼き付いて離れない。
 ジャンプをして、失敗したら、氷が割れてそのままどこまでも落ちてゆきそうだった。

 竦んだ足は、勝手にリンク外へと進んで行った。
 これほどの恐怖を、リンク上で味わった経験はなかった。

 四回転に挑戦したとき、世界選手権への切符を失いかけたとき。
 昨年、どちらも恐怖に思っていたはずなのに、今はただの好奇心のようなものだったとさえ思える。


 そして、フリープログラムが始まった。
 自分が滑るのは、2時間後といったところか。
 恐らく、短い2時間になるだろう。考えるだけで嫌になる。

 耳かけイヤホンをつけて、控え室で黙して待っていた。
 状況を説明するならばそういった言葉になるが、何を待っているのかは、自分でもよく分からなかった。

 このMDは、ギコ君に貰ったものだった。もう一年も聴いている。
 試合前に集中したいときに、よくこのMDを聴いた。そう話すと、ギコ君が本当に喜んでくれていた。
 その表情を微かに思い出して、思わず口が緩んで、そしてテンションは下がる。

 MDがちょうど、二周した。もう順番が近づいているはずだ。
 体を温めなければならない。随分、冷え切ってしまっていた。
 恐らくメダルはないだろうが、それでも全力を出し切らなければ。
 この演技は恐らくギコ君もテレビで観るだろう。ギコ君に心配は、かけさせられない。
 晴れ晴れとした滑りを観れば、ギコ君の不安は消えるだろう。

 まだどこか、俯瞰的だと思えた。
 こんな自分を、心配しているのかも分からない。
 なのに前提のように考えてしまっている。ギコ君に申し訳がなかった。

 もう、忘れなければ。雑念は、消し去らなければ。
 結果がどうあれ、最高の演技を魅せる他ないのだ。

 そして、自分の演技まで、あと、一人。
 頭の中は、大丈夫だ。演技のことはしっかり頭に入っている。


 飛べる。

 そう思って、控え室から出ようとしたとき、世界が斜めに傾いた。

 そして、床が見えた。膝まで、床に支えられている。
 震えた、脚まで。

 翼が、ない。飛べるはずなのに。
 思った以上に、翼は、飛ぶ以外の役割も果たしていた。

 ずっと、支えていてもらったのだ。
 飛び立つ瞬間も、飛んでからも。
 それを自力だと、ただ勘違いしていただけだ。

 脚の震えが、止まらない。
 必死で押さえつけても、手を離せばまた動き出す。静止のきかない子供のように。


 しかし、不意に、震えが止まった。

 止まる理由が、分からない。しかしそれも、一瞬だった。


 まだポケットに入れたままだった携帯を慌てて取り出す。
 着信、あり。

 しかし、メールを見て愕然とした。
 ただの、メルマガ。

 二通あるが、いきなり気分は滅入った。
 もしかしたらを、期待しすぎた。
 二通目を、何気なく開いた。

 瞬間、逃がすように携帯を落としそうになった。


( ,,゚Д゚)『あの日と変わらぬ翼が今も在る。
    時には雨滴で上手く羽縛けなくても、少し高い場所からなら羽は風に乗るから。
    椎名の目線を高める土台が、必ずあるから。
    だからいつも通りに笑っていてくれれば、何も心配はないんだよ』


 ギコ君。
 体の震えは、さっきまでとは全く異質なものに変わっていた。

 励ましたいのか、想いを伝えたいのか、分からなくなるような言葉。
 忘れていた。一年前までは、ずっと試合前にこのメールを送ってくれていた。
 最近、深みを忘れていた空が、見えてくる。フィギュアが順調で、充実していた頃の、あの感覚が。
 ギコ君が、支えていてくれた。けれどそれは物理的な支えではなくて、飛翔するためのなけなしの勇気を、踏み台に変えていてくれた。
 ずっと、勘違いしていた。結局、飛ぶのは全て自分から出た力だ。
 ただそれを、実用的にできなかった。いつもそうしてくれていたのが、ギコ君だった。
 きっと結局、何もわかっていなかった。ただ何故か、安心していた。

 これでギコ君との糸がまた繋がった、などと短絡的に考えたわけではなかった。
 ただ、ギコ君が本当に私のことを心配してくれていたこと。気遣ってくれたこと。

 それがただどうしようもなく、嬉しい。

 リンクの広さが、心地よかった。

(実・Д・)『ショートプログラムでは8位と順位の落ち込んだ椎名ですが、このフリースケーティングに期待がかかります』

 体も、自然と温まってきた。
 沸いて出てくる自信は、抑えきれそうもないし、抑える気もない。

(*゚ー゚)「コーチ」

 体を反らせて、少し高い視点でリンクを見てみた。
 照明の光を、より多く反射させている気がした。

(*゚ー゚)「私、四回転、飛びますね」

ξ;゚⊿゚)ξ「!?」

(*゚ー゚)「仮に失敗しても、私には多分、必要だと思います。すみません」

 津川コーチは顰め面だったが、何かひとつ糸をわざと切ったように、突然すっきりした顔に変わった。

ξ ゚⊿゚)ξ「まだ若いんだから、たくさん無茶をすればいいわ。綺麗に舞ってね、美咲ちゃん」

(*゚ー゚)「ありがとうございます」

 また一つ、風が吹いた。
 色んな人が、自分に関わっていた。当たり前のことを、忘れていた。

 未練がましく持ってきてしまっていた、銀の指輪を嵌めなおした。
 今だけ、近くに感じさせて。力を、貸してください。
 呟きは歓声にかき消されたようだった。

 随分歪な指輪だった。若干の緊張がそうさせているのか、それとも自信か。
 どちらであっても、不安はなかった。

 しっかりと、氷を掴めた。
 音楽が会場に響き始めた。誘われるように、自分の脚も動いてゆく。
 滑らかな動き。指先から、つま先まで、全て自分の思い通りだ。
 腕を振り上げて、氷を蹴った。

(実・Д・)『トリプルルッツ、ダブルループ……連続ジャンプ成功!』

 イメージ通りに行っている。
 これほど氷を白く感じるのは、いつ以来だ。初めてだろうか。
 綺麗な氷の上を歩くように滑る。ステップも、ミスはなかった。

 もう一回、トリプルサルコー。そして、四回転。
 終盤に持ってくることで、一気に高得点を狙う構成。
 成功率はかなり低い。しかし、今なら。
 何でもできるとさえ思える、今なら、不安はなかった。

 勢いをつけた。高台に上るように。空を眼前まで持ってきて、そして飛び立つように。
 トリプルサルコー、飛翔。


 突如、空を暗雲が襲った。


 いや、黒鳥だ。
 小さな鳥なのに、何故、空をも埋め尽くすのか。

(実・Д・)『あっと椎名、着氷のバランスが少し崩れたか』

 瞼が閉じられたように、視界が黒に染まった。
 感覚だけでの着氷だった。

 もう一度、黒鳥を見たかった。
 空の一部で不敵に笑う、あの黒鳥を。
 しかし、見ているわけにもいかない。けれど、頭の中に、網膜に、はっきり居るのだ。
 あの、男が。

 銀盤に、多くの傷が付いている。
 自分が、今まで滑ってきて、残した傷跡。
 本当に、白だったのか。傷跡だらけなのが、白に見えていただけではないのか。

 左手薬指が、何故かかつてないほど寂しかった。

 スピンをひとまず決めたが、キレが足りないのは自分でも分かった。
 残すは、四回転。
 ここは、銀盤だ。高みなど、あるはずがなかった。

(実・Д・)『さぁ、四回転!』

 飛んだ。
 瞬間、分かった。高さが、足りない。
 回りきれない。
 今からでも、トリプルに切り替えるべきか。

 頭の中を色んな思いが混在していて、飛び始めてからの世界は動きを鈍重にした。
 一回。また、視界が鳥の巣に向いた。姿を確認することは、できなかった。
 二回目も、そして三回目も。

 もう、氷がすぐ側にあった。やはり、四回は回れない。
 そう思った、瞬間だった。

 首から、そして体が強引に、回転してゆく。
 はっきりではなかった。けれど確かに、居た。

 もう少し、あと少し。そうすれば、あの鳥を真正面で捉えられる。
 翼を、はためかさせてくれる、あの鳥を。


 その鳥は、いつもと変わらぬ様子で、スタンドに座っている。
 そして、笑っていた。

 何も、心配はないんだよ。その言葉が、心に直接響くようだった。


 広い空に、包み込まれた。


2_20091228201326.jpg



(実*・Д・)『決まったぁー!! 四回転サルコーを世界選手権で決めましたー!!』

 いつも、そうだ。
 駄目な箇所を、気づかれないようにひっそりと、補ってくれる。

 ギコ君、大好きだよ。今ここで叫んでしまいたかった。

(実*・Д・)『椎名、完璧な演技を披露しました!
      Lv3以上の技を連発し、そして最後のジャンプは四回転!
      これはかなりの高得点が期待されます!』

 側に駆け寄りたかった。
 観客席を見ても、これほどの人数の中で、もう一度発見するのは難しい。

(解´∀`)『最後の四回転サルコーは10.45点が取れているでしょう。
     途中、少し疲れが見えましたが、充分それを補えるジャンプでしたね』

(実*・Д・)『この演技なら、あるいは、トップに躍り出ることも……』

(解´∀`)『可能性は、充分にあります』

(実*・Д・)『さぁ、得点が発表されます!』

 津川コーチとともに椅子に座った。
 テレビカメラが目の前にある。体中が、熱かった。
 それがテレビの向こう側には、演技の興奮に見えるのだろうか。

(実・Д・)『現在のトップはクタラスの177.8ですが……
     あっと、出ました! 126.3! ……ショートとあわせて、181.2!
     椎名、暫定首位!』

 ただ純粋に、嬉しかった。
 こうして、結果を出せたこと。皆が喜んでくれていること。そして、飛べたこと。
 それを、ギコ君が支えてくれたこと。

(実・Д・)『さぁ、ケイラインの演技が始まります。108.1以下なら椎名の金メダルが決まります!』

 探しに行きたい。
 けれど、ここから動くわけにもいかない。表彰台の真ん中がかかった演技なのだ。

 何度か、観客席に目を向けた。
 どちらの姿も、確認できない。見えたはずの場所を見ているはずなのに、いない。
 たまたま見つけられていない可能性もあるが、あるいは――――。

 気づけば、ケイラインが最後のスピンを終えていた。

(実・Д・)『ケイライン、ミスなく演技を終えました。女王の貫禄、やはり圧巻。
     まだ若き雛鳥に頂点の座は明け渡せない。それを見せ付けるかのような演技でした』

 ベテランらしい、堅実な演技だった。
 フリーでは文句なしのトップ通過。そして、恐らくは――――。

(実・Д・)『得点は……117.8! 合計190.9で、ケイライン金メダル!
     椎名残念! 銀メダル!』

 ケイラインの実力からいって、108.1を下回ることはほぼ有り得なかった。
 別段の期待もしていなかったので、悔しさはない。

 何しろ、8位からごぼう抜きで2位までジャンプアップしたのだ。
 喜び以外が、あるはずがなかった。
 そしてこの喜びを、誰よりもただ、ギコ君に伝えたい。

(;゚ー゚)「すみません、すみません」

 報道陣を、半ば跳ね除けるようにして進んだ。
 観客席には、多分、いないだろう。どこを探せばいいのか。分からない。
 けれど、行くしかない。見えない背中でも、追いかけるしかない。

 会場から出ると、外はとうに陽が落ちていた。それどころか、小雨まで降っている。
 こんな中を、追いかける。それがギコ君にとっては、至極当然だったのだろうか。

 傘はなかった。濡れたまま走るしかない。
 マスコミについてこられるのだけは避けたかった。

 走り続けて、会場からはもう1kmは離れただろうか。
 息が切れて、当然だった。
 しかし、休めるわけもない。遠ざかっているかも知れないのだ。

 空を一瞬見上げた。
 月は、ない。

 目を閉じて、左手薬指を、眉間に当てた。
 ギコ君の笑顔が、翳んでいながらも浮かんでくる。
 もっと、目を凝らせば、判然としてくるだろうか。

 また、走り出した。
 アスファルトを叩く靴の音。響き渡って、周りの家の壁で跳ね返る。
 いつの間にか閑静な住宅街に入り込んでいた。
 こんなところに、居るとは思えない。がむしゃらに走りすぎたようだった。

 方向を転換させて、また都心部へ戻る。ギコ君は、ホテルに戻ったのだろうか。
 連絡を取ろうとしても、さすがに無駄だろう。
 それくらいは、ギコ君のことを理解できているつもりだった。

 とりあえず、ホテルの近辺を探してみたかった。
 一直線に向かう。途中、公園を横切った。
 噴水の水飛沫が、若干頬に触れた。
 雨で服から体まで濡れ切っている。しかし、確かに噴水の水だった。
 熱が、失われた気がした。


 本当か。

 体が冷えたのは、本当にそれだけなのか。


 カナダの夜は、相当冷える。
 雨も降っているので尚更だ。なのに、ほとんど着込まないまま出てきてしまった。
 走っていて、かなり体は熱くなったのに。
 今宵の月は、どんな表情を浮かべているのか、ひどく気になった。

('A`)「どこ行くんだ? なぁ」

 水飛沫で、体が冷えることなど、有り得ないと分かっていた。
 それでも、信じていたかった。

('A`)「ま、都合は良かったかも知れんな。ホテルはすぐそこだ。分かってんだろ?
   まぁ今日は前金みたいなもんで、もちろん日本に戻ってからも」

 気づいたときには、足が動いていた。
 どこに逃げればいいのかも分からない。それでも、ここで捕まれば、きっと何もかもが終わってしまう。
 それはもう、確信だった。

 近づく、足音。
 公園から抜け出したかったが、木々が犇めき合う方向へ逃げてしまった。
 どこにも、逃げ道はなかった。無理にでも、飛び込むしかないのか。

 直立した木々に、ぶつかりそうだった。
 必死で避けて走っていくが、思ったよりずっと広かった。
 どんどん、深みにはまっていく気がする。

 不意に、木々が傾いた。
 何故、と思った瞬間、全身が地に支えられていた。
 ずっと酷使してきた右足が、リンク外で悲鳴を上げた。

 当然、あの男が鳥瞰(ちょうかん)するように側に立っていた。

('A`)「逃がすと思うかぁ? ま、ちょっと運が悪かったと思えば何とか諦められんだろ?
   ここなら誰も来んだろうし、前哨戦さっそくいっとくか」

 ジャンパーを脱がされた。
 スカートも捲りあげられ、競技していたときの衣装も、手にかけられた。

 やだよ、ギコ君、やだよ。
 ギコ君じゃなきゃ、やだよ。

 心の中での呟きは、自分にならはっきり届いていた。


 そしてそれが、ギコ君にも届くとしたら――――。


(???)「何してくれてんだ、お前」

 人影。
 上に乗りかかっていた男を、蹴飛ばした。
 更に、拳を加えた。

 そうだ。追いかけられたときの、あの悪寒。
 それが、今までなかった。

 何故、気づかなかったのか。
 この違和を、何故感じ取れなかったのか。


( ^ω^)「椎名美咲は俺のもんだっつの」


 ギコ君、お願い、助けて。

 呟きが、届くはずもなかった。

( ^ω^)「あー興奮するー。やっちゃっていいのかなー。いいのかなー。やっちゃうかー」

 ベルトを外す音が聞こえて、衣服のすれる音が続いた。
 目を、閉じた。同時に、何かが瞼から零れ落ちた。

 希望、だったのかも知れない。

 スカートをまた捲りあげられた。
 このまま死んでしまったほうが、いっそ楽かも知れない。
 諦念があったわけでなく、純粋にそう思えた。

 何かが、入り込んできた。それに押し出されたように、自分の口から呻き声が漏れた。
 全て、何もかもが、流れ出してゆくようだった。

 ふと、気づいた。

 今、自分が、真っ白であることに。
 雑念の欠片もない、白き道に染まりきっていることに。

 悲しみもない、苦しみもない。
 流れ出る。溢れ行く。
 悪しき感情が、全て。



(#,,゚Д゚)「一回しか言わねぇ」


3_20091228201326.jpg



 右手の人差し指の爪が、眼球との距離を狭めてゆく。

(#,,゚Д゚)「椎名美咲に、二度と近づくな。もし近づいたら、ホントに突き刺すぞ」

 爪の先と、眼球の距離は、ほぼ零だった。

(#,,゚Д゚)「俺がいつも側に居る。それだけ覚えてれば、お前は平穏に暮らせるさ」

 いつの間にか地面に転がっていた男の腰が蹴られて、起き上がって走り去っていった。
 足が竦んで上手く走れていないのが、はっきり分かった。

 側に立つギコ君の顔を、見上げた。
 その表情に、翳りが消えていた。
 完全に、重なり合う。自分の心の中で、絶え絶えながらも息づいていた、あの日の笑顔と、今の視界とが。

( ,,゚Д゚)「ゴメン、衣服ちょっと剥がれて……嫌な思い、させちゃったな……」

 こめかみを伝った涙を、ギコ君の指が沿うように動いてゆく。
 乾きを潤すように、潤いを乾かしていった。
 言いたいことがありすぎて、何も言えなかった。

( ,,゚Д゚)「なんか、聞こえた気がしたんだ」

 泥のついた服をギコ君が丁寧に払ってくれた。

( ,,゚Д゚)「椎名さんの、多分、心臓の鼓動とかだと思う。声みたいなはっきりしたもんじゃなかった。
    でも、確かに俺を呼んでた」

 鞄から、タオルを取り出して、体を拭いてくれた。
 ギコ君の、手のひらの、熱。確実に、伝わっていた。

 満ち足りていた。
 ギコ君の気持ちに、触れるだけで。
 これだけを感じていられれば、もう、何もいらないとさえ思えた。

( ,,゚Д゚)「立てる?」

 ギコ君の右手と、右手が触れた。
 ゆっくり、掴む。体が、浮き上がるようだった。

(#,,゚Д゚)「それから、アンタも」

 まだ寝転がっている、最初の男をギコ君の瞳が睨みつけた。
 腹を押さえたまま蹲って、苦しそうだった。

( ,,゚Д゚)「何をしたのか知らないけど、俺はいつでも椎名の側にいる。付け狙ったって無駄だ。
     分かったら、二度と近づくな」

(;'A`)「…………」

 ギコ君の右手が、肩を掴んでくれていた。
 誘うように、歩き出していく。

 ギコ君の側に、今いる。
 今まで何度も諦めようと思って、結局、諦められていなかったのが分かった。
 未練がましいと思われも構わない。気持ちの名称を書き換えることはできない。

 ホテルまで、送っていってくれた。
 ただ、正面は報道陣が何人かいるようで、半分非常口に近い裏口まで回った。

 ギコ君には、話したいことがたくさんあった。
 繋いだ右手と左手。こうして、この裏口から見える長い道を歩いてゆける。

 そう、思った。


( ,,゚Д゚)「じゃあね」


 別たれる、道。
 熱を失った左手が、呆然としていた。

(;゚ -゚)「ま、待って!」

 そういえば、初めて口を開いた。
 そしてその言葉が、今まで何度も効果を及ぼさなかったのも、思い出した。

 何から言えば、いいのか。分からなくなって、もはや、思考は関係なくなっていった。

(;゚ -゚)「あの……ありがとう……」

( ,,゚Д゚)「いえいえ」

 軽く、流された。
 焦りばかりが口から出そうで、それを抑えるのにも必死だった。

(;゚ -゚)「その……いっぱい、助けてもらっちゃって……
    ほんと……私……ギコ君に頼りっぱなしで……申し訳ない限りで……」

( ,,゚Д゚)「仮にも、元彼だし、ファンであることに変わりはないし」

 降りしきる雨の冷たさが、身に沁みた。
 側にあったベンチに、腰掛けた。ギコ君が、去り行くことを覚悟して。
 しかし、ギコ君は隣に静かに座ってくれた。

( ,,゚Д゚)「凄く、綺麗なジャンプだったよ」

 ふと、懐かしさが漂ってきた。
 聞きなれた調子。わざと、そうしてるのだと分かっていても、嬉しかった。

( ,,゚Д゚)「なんか、迷惑なメール送ってゴメン。まぁ、試合前には見なかったかも知れないけど」

(*゚ー゚)「見たよ! 凄く、凄く嬉しかった! 私あれのおかげで四回転飛ぶ決心ついたの!
    私、ショートで完全に自信失っちゃってて、トリプルでいくつもりだったんだけど、でもギコ君が」

( ,,゚Д゚)「そこまで言ってくれるなら、俺も本望というか」

(*゚ー゚)「ありがとね、ホントに……」

 礼を言うべき事柄は、まだ、多かった。多すぎた。

(*゚ー゚)「それにね……四回転、ホントは全然ジャンプ力も回転力も足りなくて……。
    ダメだな、ってもう飛んでるときに分かったんだ。三回転が限界だなって……。
    でも、観客席にギコ君を見つけて、嬉しくて、もっかい見たくて、回っちゃったんだ。
    ギコ君の、おかげだよ」

( ,,゚Д゚)「椎名さんの力だよ、全部」

(*゚ー゚)「それも、あるんだと思う。
    でも、私の力を翼に変えてくれるのは、ギコ君だよ……。
    ギコ君が居てくれるから、私は、飛べる……」

 ギコ君の息遣いが一つ聞こえて、少しだけ時間が空白色に染まった。
 それは、決して気まずい静寂ではなかった。

(*゚ー゚)「だから、私やっぱり……ギコ君のこと、大好き……。
    ギコ君に愛されて、嬉しいし……愛してる自分がいるとき、凄く満ち足りてる……。
    また……ギコ君に助けもらいたいし、今度はギコ君が困ってたら、私にできることだったらなんでもしたい……」

( ,,゚Д゚)「……前にさ」

 強引に話を変えた、という風でもなかった。
 真剣味も、伝わってくる。胸が、高鳴る。

( ,,゚Д゚)「眠れないときに、お話したよな」

(*゚ -゚)「……うん」

( ,,゚Д゚)「あれ、続きあるんだ」

 月は雲の後ろに隠れていて見えなくても、それでも、存在はしている。
 そして、必ず表情も露わにしているのだろう。

( ,,゚Д゚)「国を追放された男は、関所に差し掛かりました。
     そして、王様はもう一度王女と恋に落ちられては堪らないと、関所の人間に不意を突いて男を殺すように命じていました。
     そして、関所の人間は剣を抜き放つ。しかし、その剣が血を浴びることはありませんでした。
     王女が現れて、それを食い止めたからです。そして王女は、言いました。
     "私はこの人と共に生きてゆく、絶対誰にも邪魔はさせない、それを父に伝えて欲しい"と。
     しかし男は言いました。"私には貴女を幸せにできる自信がない、私よりもっと、良い人がいるはずだ"と。
     しかし王女は聞く耳を持ちませんでした。"貴方と一緒以外の幸せなど、あるはずがない"と。
     "例えどんな道でも、歩いてみせる"と。
     そうして二人は、遠く離れた国で、幸せに暮らせましたと、さ」

 ギコ君の顔が、どこか照れくさそうだった。
 その表情を見て、はっきりとした喜びを覚えた。

( ,,゚Д゚)「これ、つけてくれてたんだ」

 左手を持ち上げられた。
 視線は、薬指。水で少し煌きを持する指輪を、優しい眼で見つめていた。

( ,,゚Д゚)「椎名さんが俺のこと、まだ愛してくれてるって、分かってた。そして、自分の気持ちも。
     でも俺と一緒じゃないほうがいいなんて、都合のいい考えを押し付けて、本当は椎名さんの方から離れられるのが怖かっただけなんだ」

 ギコ君が、一つの小さな箱を取り出した。

( ,,゚Д゚)「けど、離れてみて、やっぱり凄く寂しかった。
     利他的な考えでいつも自分を抑え込むんだけど、やっぱり虚しさだけが纏わりついて……。
     自分に価値はないとか、そんな言葉で何とか消し去ろうとしたけど、でも、分かってたんだ。
     そんなこと、椎名さんだって望んじゃいないんだって」


 左手薬指が、あの日と同じように、熱を持っていった。
 指輪が、二つ、合わさる。

 変な指輪だとは思っていた。
 模様が不揃いで、変な穴も二つ開いていた。
 そして、漸くその疑問も消えた。
 二つの穴に嵌まり込むようにして固定され、二つの指輪が、一つになった。



4_20091228201325.jpg




 模様と、模様が、合わさる。
 アルファベットになっていることには、すぐ気づいた。

(*゚ -゚)「FOREVER……LOVE……」


 水滴による煌きが、更に増した。同時に、笑顔もこぼれていた。

(*; -;)「ギコ君……」


 抱きついた。そして、受け止めてくれた。
 この温かみこそが、ずっと求めていた、離し難い、愛情なのだろう。

( ,,゚Д゚)「ずっと、一緒にいてほしい……美咲……」


 抱き合う力が、増した。
 熱を、感じなくなってゆく。それは失われたわけではなく、恐らく、互いの体の中に入っていったのだろう。
 互いの体の中に、溶け込んでいったのだろう。

 唇を、通じて。

 離れて、もう一度、ギコ君の顔を見た。
 照れくさそうで、堪らないほど可愛い、笑顔。

(*;ー;)「ギコ君の笑顔があれば、私、もう何もいらないよ……」

 何もかもが、この笑顔で始まって、そしてこの笑顔で終わろうとしていた。



(*゚ー゚)「一番大事なものは、何かって……有里っていう私の友達に言われて、考えてた。
    どれを選べばいいのか……って。でも結局決めれなくて……」

 ホテルの部屋に戻って、ソファーでギコ君と寄り添いあっていた。
 窓の外では、雨の声が少しずつ小さくなっていると思った。

(*゚ー゚)「でもね……私、それでもいいんじゃないかなって思えたの。
    どれも私にとっては下げることができなくて……。
    いっぱい抱え込んで、だからこそ私は飛べるんだとも思う」

( ,,゚Д゚)「いいと思う。その有里って人のこと知らないけど、いい人だね。
     美咲のこと、知り尽くしてる。多分俺と同じくらい」

(*゚ー゚)「うん……ギコ君と別れてから、いっぱい相談乗ってもらった……有里の、おかげ……」

( ,,゚Д゚)「感謝感謝」

(*゚ー゚)「あ、そうだ! ギコ君、遅れまくった上に、なんか順番逆みたいになったんだけど……」

 バッグから、一つの箱を取り出した。
 出立直前に、何故かバックに入れてしまっていた。
 恐らく、気持ちを切らしたくないという、ワガママのせいで。
 しかし、正解だった。

(*゚ー゚)「私自身が、何かすっきりしなくてね……妥協は、やめようって。そう思って、作り直したの」

 箱を渡した。
 ギコ君がすぐにそれを開ける。
 甘い匂いが漂った。

( ,,゚Д゚)「チョコ……?」

(*゚ー゚)「一ヶ月も遅れちゃって、ゴメンね……。
    でも、一ヶ月前に渡そうとしてたやつよりは、数倍いい出来なんだ……。
    半分、自己満足だけど……でも……」

 気づいたら、もうギコ君はチョコを頬張っていた。
 二口、三口と齧っていく。

( ,,;Д;)「ヤバイなぁ……」

 涙。チョコを掠めたようだった。

( ,,;Д;)「なんか……俺、凄い幸せだ……ほんと、ありがとう……」

(*゚ー゚)「もっと、いっぱい幸せにしてみせるからね……」

 いつしか、雨はやんだようだった。
 月の表情を確認できる時も、そう遠くはないのだろう。

 幾許かの、静寂の後。
 ギコ君の右手を掴んだ。

(*゚ー゚)「ギコ君……手が、教えてるよ……」

 すっと、右手を左胸に当てた。

(*゚ー゚)「私も、どきどきしてる……分かるよね……? もっと、幸せにしてみせるから……。
    ギコ君、したかったこと、いくつかあるよね……?
    全部、していいから……。
    自分の、したいようにしてくれれば、いいからね……?」

 ギコ君の右手の五指を、胸に押し込めた。
 自分でやっているのに、体が振動した。心臓は鼓動を早め続けてゆく。

 ベッドに移った。それから暫く、言葉はなかった。

 これもまた、階段の一つだろう。
 クリアすべきで、クリアしたかった段。
 互いのために、恐らく今後も何度か踏みしめることになる。

 そして恐らく、怖れを抱くことは一度もないだろう。


(*゚ー゚)( ,,゚Д゚)「「大好き……」」

 向かいあって寝転がって、発した言葉が全く一緒で、思わず吹き出した。
 こんな状況だと一番素直な言葉が出る気がしたが、それが一緒というのが堪らなく嬉しかった。

 抱き合うと、熱が直に伝わってくる。
 額と額をあわせて、また微笑む。

 ギコ君の顔が、判然すぎるほどよく見える。
 月の表情は、確認するまでもないようだった。
 そして、いつしか払暁(ふつぎょう)を迎えていた。


(;゚ -゚)「でもさ、ギコ君……あの……言うべきじゃないのかも知れないけど……」

( ,,゚Д゚)「何?」

(;゚ -゚)「国家試験は……やっぱ、受けなかったの……?」

 ずっと考えていて、訊けなかった。
 そうであるとしたら、心苦しいことこの上ない。

( ,,゚Д゚)「んなまさか。ちゃんと受けたよ」

 あまりにあっさりしていたので、少し、拍子ぬけた。

(;゚ー゚)「え、え? でも、3時間あったんだよね?
     受けてたら試合にはどう考えても……」

( ,,゚Д゚)「言わなかったかも知れないけど、途中退室ってのが出来たんだ。
     1時間経ったら出来てようが出来てまいが退出していい」

(;゚ -゚)「じゃあ……」

( ,,゚Д゚)「いや、ちゃんと全部やったよ。
     だって俺、1時間内に終わらせてぎりぎり最終便間に合うようにめっちゃ勉強してきたもん。
     美咲の演技がどうしても見たかったから」

 つまり、突発的な考えではなく、ずっと。
 バレンタイン後、全く連絡を取り合っていなかった頃も、恐らくずっとそれを目指して。

 眩しすぎる朝日が眼に沁みた。

(*; -;)「すっごく嬉しい……ありがとう……」

( ,,゚Д゚)「って、そういや便間に合わなくなる。先に出るよ」

(*゚ -゚)「一緒はやっぱ……まずいよね……」

( ,,゚Д゚)「そうじゃなくて、単に今からの便を取ってあるだけなんだって。
     日本戻ったら、もっと堂々としよう。美咲がそれでいいんなら、だけど」

(*゚ー゚)「わ、私は全然オッケーだよ! だって、ギコ君に迷惑かなって、今まで……」

( ,,゚Д゚)「そうなの? ならこれからはちょっと自慢できそうだなー」

 結局、自分の頭の中で勝手に物事をややこしくしていただけだったのか。
 自分で自分に呆れざるを得なかった。
 しかし、それも今なら悪くないとさえ思えた。

( ,,゚Д゚)「じゃあ、ね」

(*゚ー゚)「うん」

 このじゃあねも、何度も聞いた言葉。
 しかし、今までとは意味が真逆だった。

 逸れかけていた道を、まともに歩けている。
 それを、確信できていた。

 平坦な道など、どこにもあるはずがないのだ。
 それどころか、道ではない道すら時には進む必要がある。
 そして、引き返すこともできず、ただ歩き続けるしかないのだ。

 歩き続けて、歩き続けて。
 やがて、少し高みへ到達したりする。
 そこから、見える景色が絶景とも限らない。

 先の分からない道を歩き続け、それでも後退は許されず。
 誰もが不安を抱き、そして躓く。
 全て分かりながら歩ける道など、ないのだから。

 恐らくもう、時計の針を戻そうとすることはない。
 時計の針が戻っても、時の歩みは止まらない。
 歩んだ道に遺した傷跡は、消えることはないのだ。

 しかし、振り返って、傷跡を足跡に変えることはできる。
 それが、過去への思い、未来への思いを具現化することにもなる。


 日本に戻ると、空港で多くの人に出迎えられた。
 拍手と歓声が鳴り響く。銀のメダルは首に掛けていて、皆がそれを見ているのが分かった。

 人に囲まれて、歩きづらくなった。
 疲れもあるし、早く、家に帰りたいのに。
 報道陣も大勢いるし、物珍しさゆえの人も多く居ると思えた。

 今この中に、本気で世界選手権の銀メダルを祝っている人が、何人いるのか。
 そんなことを考えてしまっているのは、疲れのせいだけではないのだろう。

 しかし、歩きにくくても、躓きかけても、支えてくれる人がいたら。
 手を繋いで、共に歩いてくれる人がいたら。

(*゚ー゚)「ギコ君!」

 そっと手を握って、混乱に乗じて人ごみから連れ出してくれた。

(*゚ー゚)「待っててくれてたの?」

( ,,゚Д゚)「一緒に帰ろう」

(*゚ー゚)「うん!」

 ぎゅっと握り締めて、歩き出した。
 理由もつけようがないほどの、安心。
 この人となら、と、無心が教える。

( ,,゚Д゚)「大丈夫?」

 痛みは感じなかったのに、何故か重心が右に傾いた。
 ギコ君が両手で支えてくれていて、転ぶことはなかった。

(*゚ー゚)「ありがとね」

( ,,゚Д゚)「ん。行こう」

 重なる手のひら。歩き出す。

 数歩、前に出て、振り返った。
 二人分の足跡が、寄り添うように並んでいた。

 笑って、再び前を向いた。
 溢れ出す言の葉を、頭の中で楽しみながら。



 繋いだ手と、重なる道と。

 銀の指輪と、銀の勲章と。

 お墓参りと、重なる手と。

 友の皮肉と、桜草一輪と。

 大きな背と、笑む横顔と。

 眠れぬ夜と、優しい声と。

 刻んだ傷と、続く足跡と。

 支え合いと、助け合いと。

 十時十分と、愛でし子と、そして、繋がり行く道と、手と。


 果てぬ空へと。







(*゚ー゚)しぃの時計の針は戻らないようです

                ~The End~






この小説は2006年11月19日にニュース速報(VIP)板に投稿されたものです
作者は◆azwd/t2EpE 氏
前編、後編の2部構成です
記事元はブーン芸VIPさんになります


ご意見等あれば米欄にお願いします


[ 2009/12/28 20:17 ] ナギ戦記 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿


更新は止まっていますがコメントはご自由にどうぞ
修正・削除依頼等、何かしらの連絡はコメントもしくはメルフォよりお願いします
拍手だと高確率で長期間気づきません

スパム対策のため"http"と"@"を禁止ワードに設定しています
URLを書き込む際は"h"を抜いて投稿してください













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://gyokutonoyume.blog116.fc2.com/tb.php/2873-69ae943d


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。